たかの友梨とは?人物や経営企業について

黒ずみ

たかの友梨さんは新潟県生まれのエステティシャンで、アンチエイジング美容研究家の肩書を持つ美容の専門家です。
一般社団法人エステティックセラピスト協会会長や、厚生労働大臣指定学校法人の理事長、ミス・ユニバースの審査員といった肩書もあります。
1948年に新潟県南魚沼郡で生まれ育ちましたが、高校は群馬県の女子校を卒業しており、その後は上京して理容師として働いた経歴を持ちます。
この理容師時代は夜に皿洗いのアルバイトをする生活で、仕事を終えて帰宅してからも美容学校の通信教育の勉強をしていました。
しかし、無理が祟り顔にニキビが発生したことで、美容に興味を抱き始めることになります。

約8ヶ月間の修行を経て帰国、自身のビューティクリニック設立

理容所が美容師免許取得に協力的ではないことを理由に辞めて、自分で免許取得に挑戦して成功しています。
美容師免許を取得してからは外資系の化粧品会社に就職、美容部員として実績を積み重ねていきます。
たかの友梨さんはエステティックの知識と技術を学ぶべく、1972年に単身で渡仏しました。
約8ヶ月間の修行を経て帰国、そして自身のビューティクリニック設立に至ります。
1973年に設立した株式会社東京美機では、美顔器のヴィッキーを考案、発売して話題を集めます。
世間的に知られるようになったのは、2001年から2003年に掛けて放送された、フジテレビ系列の美容バラエティ番組です。
たかの友梨さんは協力に名を連ねる一方で、ビューティクリニックの院長としても番組に出演しました。
芸能人やヘア、メイクとスタイリストや形成外科医などと共に、容姿に悩む人を対象に悩みに乗ったりアドバイスを行うといった内容です。
この番組で名前を知ったり興味を持ち始めた人も珍しくないでしょうが、経営するビューティクリニックで実際に施術を受けて知っている人も少なくないと思われます。

SNSやWebのコラムなどで変わりなく活躍中

たかの友梨さんはテレビ番組が終了した後も、著書の執筆や美容の啓発で精力的に活動しています。
自著は5冊以上にのぼりますし、DVDも発売していますから、積極的に表に出ることで活躍している人物だと分かります。
近年はあまりテレビで見かけないと思いきや、SNSやWebのコラムなどで変わりなく活躍中です。
サロンの店舗は全国に展開していますし、その評判は良好で変化が実感できると評されます。
体感に個人差はあるものの、新しい技術の開発や提供に積極的で、お客様の美の実現に貢献しようとする姿勢は確かなものです。
たかの友梨さんは美容だけでなく、子供の支援やボランティア、寄付といった社会活動にも精力的です。
NPO法人で副会長を務めていたり、児童養護施設と社会福祉法人の後援会長もしていますから、そういう方面にも力を入れていることが窺えます。
2018年の西日本全域で発生した大雨災害に際しては、個人として災害復興支援に私財を寄付しています。
そしてその貢献が公益として認められ、2019年の紺綬褒章受章に至りました。

実際は不倫の末に生まれた子供

美容業界で大成功を収めている人物ということもあり、華やかなイメージで裕福な育ちのように思われがちです。
医師の父、看護師の母と理想的な家庭のようですが、実際は不倫の末に生まれた子供ということになっています。
父に本妻が別にいて、母は他の子供とのいざこざで離婚をしていることから、両親に愛されて育ったとは言い難い幼少期を送っているわけです。
父方に引き取られて一時共に生活していましたが、継母との仲が悪くて養子に出されることになりました。
しかも養子の受け入れ先は金目当てと散々で、たかの友梨さんの心は荒む一方だったといえるでしょう。
不遇に耐えて我慢していましたが、それもやがて限界に達し、自ら命を絶とうとしたこともあるそうです。
ただ、その場に留まることができたので命を落とさずに済み、後の大成功を収める未来に繋がる結果になります。
留まることができたのは、足を踏み入れた川が冷たくて冷静になれたというのが理由です。
もし季節が違って思い留まる何かがなかったとしたら、今頃はこの世にいなかったかもしれないです。
ところが、現実は思い留まり不遇をバネに努力を続けたことで、美容業界において一目置かれる存在にまで上り詰めることができています。
学生時代は学生時代で先輩からいじめにもあったそうですが、折れることなく自らの道を切り開き、出場したコンクールで入賞を果たしました。

まとめ

上京する切っ掛けになったのは男性の美容院を造るという発送で、時代を先取りするアイデアが原動力になった形です。
ニキビのエピソードもその1つですが、ネガティブに陥りそうなピンチをチャンスに変えることで、大きな飛躍に繋げているのが印象的です。
ちなみに、肝心の経営は店舗数が全国に約90店、従業員数は900名に迫る規模で、売上高は90億円以上にのぼります。
これはビューティクリニックの経営状況ですから、とても存在感があるといえます。
気になる利益は社会情勢の変化もありやや減少していますが、微減に留まるので特に心配は要らないと考えられます。
1979年設立で40年以上の実績がありますから、一時的な利益の減少に負けるような企業ではないのは明白です。

引用元:たかの友梨社員

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