六本木は東京の中でも様々な観光スポットが多く、またワインが豊富な飲食店なども多いため多くの人がいちどは訪れてみたい地域となっています。
しかしガイドブックに載っている有名なスポットだけではなく、その様々な歴史を知ることでより深く楽しむことができる事はあまり知られていません。
また様々な情報を事前に得てから行くことで通常では見つけることができないような面白い場所を知ることもできるため、単純に訪れるのとは異なる楽しみ方を何倍にも大きくすることができるものとなっているのが特徴です。
六本木の特徴
六本木は様々な高層ビルやオフィスが集中しており、観光客だけではなくビジネスマンにとっても憧れの場所となっています。
かつては多くのIT企業がこの界隈にオフィスを構えていましたが、バブル崩壊によりその様相は大きく変化しました。
しかしその中で現在でもこの周辺は日本のビジネスの中枢で大きな位置づけを担っており、また情報の発信場所と多くの人に認められその存在価値を保っている事は多くの人が認めるものとなっています。
特にファッション面ではこの地域が発信源となり全国各地に流行を生み出していると言っても過言ではなく、現在では様々な文化の発信地で非常に有名な場所です。
しかし六本木は古くはその地名の由来が六本の木が立っていたと言うところから来ているように、決して文化の中心と言われるような場所ではありませんでした。
むしろ様々な人々の中でも比較的貧しい人が住むような場所となっており、江戸時代は家臣が住む武家屋敷として栄えていた経緯もあることから、古来は現在のような文化の中心となるような事は予測されておらず、むしろ場所としては虐げられてきた傾向があることも歴史上の事実が物語っています。
六本木が文化の発信源として大きく変貌を遂げた理由
このような地域が現在のように文化の発信源として大きく変貌を遂げた理由には、戦後の高度成長が大きな影響を及ぼしているものです。
戦前はかつて武家屋敷であったこともあり旧日本軍がこの地域を重要な群の拠点として利用し、様々な地域へ派遣を行っていました。
そのためなかなか一般の人は近づける場所ではない上、急激な発展を遂げた東京の中心部とは異なり田舎の地域として群が拠点を持つには非常に便利な地域であったこともその理由です。
しかしそのために戦時中は米国を始めとする多くの国々から日本の軍備の重要な拠点として狙われ、壊滅的な打撃を受けました。
また戦後は進駐軍の占領下に置かれ彼らの基地として非常に重要な役割を果たしていたことも事実であり、そのため戦後は日本の管理が及ばない地域となっていたのです。
しかし、多くの国々の駐留米軍がそうであるように、彼らは遠く自分の故郷を離れ異国で生活していることから様々な娯楽を求めるようになっていったことで、これを支えるために彼らの文化を受け継いだ様々な店舗がこの界隈に増えるようになっていきました。
これが現在の六本木の発展の原動力と言っても過言ではなく、そのために海外の文化が非常に入りやすい環境にあったことが実態です。
そのため現在でもこの界隈には外国人が経営する店も多い上、さらに大使館を始めとする外国人が勤務する場所も多いことから、やがてこの界隈に住む外国人が増えたことで様々な文化が独自の発展をするようになります。
様々な新たな外国の文化を成長させてきた六本木
このような中で高度成長を迎えた日本はさらに外国人の様々な文化を吸収しようとし、六本木はこれに呼応するように様々な新たな外国の文化を成長させていきました。
そのため多くの日本人の憧れの地域となって進展し、その後様々なシンボルが建設されるようになったことで、この循環がバブルの終焉まで非常に大きな盛り上がりを見せながら継続していったことになります。
その盛り上がりは過剰と考えられる面もあり、手の届かない世界とみられることも少なくありませんでした。
現在ではバブルが崩壊して数十年が経過し、多くの地域でかつての盛り上がりを見せる事はなくなり落ち着いた雰囲気に変貌しているところも多くなっているのが実態です。
これまでビジネス街として栄えた様々な場所も現在では住宅地に変貌しているところも多く、六本木の周辺もかつて多くの店舗が存在した場所も住宅地に変貌したところが少なくありません。
しかしそれでも駅周辺を始めとする様々な地域はバブル期の盛り上がりをそのまま見せているといったところも多く、多くの日本人にとって憧れの場所となっているところが少なくありません。
また文化の発信地との位置づけが現在でも継続されており、多くの芸術家が集まる場所としても注目されています。
まとめ
バブル崩壊後日本の経済力が低下していると言われていますがその中で、この近辺はバブル期の景気を維持しているような雰囲気もあり、いまだに多くの人が憧れの場所と注目をしているのです。
再度日本が再び経済力を取り戻すためのシンボルとなっている位置づけもあり、様々な歴史を持ちながら現在の姿を保っているこの地域は多くの人の憧れとなっているのが特徴です。